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仕事事情


アイルランドで仕事する。<私の場合>


アイルランドに移ってからの5ヶ月間。
アイルランドでのOL生活。
アイルランドでフリーランスで働く。
アイルランドで日本語教師を始める。


アイルランドで仕事する。<就職先を見つける>

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アイルランドで仕事する。<私の場合>     2005年1月updated



 アイルランドに移ってからの5ヶ月間。(1994年〜1995年)

 約8年半前、私は東京から遥々西の果ての国アイルランドへやってきました。住む前に、アイルランドへは旅行しに来たことはありました。実際に仕事して住むとなると勿論話はかなり違います。

 日本での?年間のOL生活に嫌気をさした私は、その時流行っていた(今でも流行っているのかな?)”海外で働いてみたい!”的な気持ちでいました。
日本での仕事は”貿易事務”で、アメリカ系の会社に勤めていました。
それに、日本に住んでいた時に現在の夫ドンドンとすでに知り合いお付き合いをしていたので、彼の生まれ育ったところにも興味がありました。

 アイルランドに来ることは飛行機のチケットとパスポートさえあれば簡単に実現します。住むのも比較的簡単でした。ここでは、独身の若い人たちは”シェアハウス”(Share house)といって、一軒家を4人ぐらいでシェアして共同生活をします。シェアハウスを見つける手段として、地元の新聞(エニス/Ennisに住んだので、Clare Championというローカル紙)のAccomodationという欄探すか、地元スーパーのコミュニティーボード(売ります買いますコーナーのような存在)で探すか、口コミで探すかとなります。
 アイルランドに移って英語学校に通い始めました。今はエニスに移ってしまいましたが、当時カウンティ・クレア(County Clare) のコロフィン(Corofin)という所にあった小さな小さな英語学校。当時担当してくれた先生の一人、ムリン(Mureanne)とは今では何でも相談できる友達の一人です。
 英語学校にただ漠然と通っていても、怠け者の私はすぐダメになってしまうので、ケンブリッジ英検上級CAE(Cambridge Advanced English)を目指し、勉強を始めました。このCAEは、当時の私にとって最も適した試験でした。ムリン先生にもかなり相談に乗ってもらい、近い将来アイルランドで就職したい、と言ったら、彼女がこの試験のためにしばらく頑張ってみれば?と提案してくれました。実際に使用したテキストは、ケンブリッジ英検のテキストの他に、実用的なビジネスイングリッシュのテキストや、発音を中心としたテキストでした。
 
 学校に通ってから4ヵ月後に、ドンドンが勤めていたシャノン工業団地内にあるアメリカ系の製造メーカーが英語のできる日本人、もしくは日本語のできるアイルランド人を探していると言う話を聞き、早速面接を受けに行くことになりました。結局、面接日一日で、9時から4人と面接し、最終的にはジェネラルマネージャー(General Manager、社長の存在)と面接して入社がほぼ確定となりました。友人から、家族からみんなから、”You are very lucky!"と言われました。
 
 入社に当たり、ものすごく引っかかっていた事は、言わずと知れた英語力でした。そのときは、CAEはまだ受けてもいなかったですし、日本の会社だと、TOEICのスコアーは?とか、大学の専攻は?と聞かれそうですが、この会社は、そういったことは一言も聞いてきませんでした。面接した時に、むしろ私の方から、”英語に関しては、現在進行形で勉強中なので何のスコアーも資格もありません。”といったら、ジェネラルマネージャーが、”今こうやって、君と話をしていて問題ないと思っているんだし、これからここで仕事を始めて揉まれれば、英語学校に通うよりも、ずっと勉強になって上達すると思うよ。英語の試験のスコアだの資格だのは全く関係ない。でも、英語学校に夜通いたいのならば、会社でサポートしますよ。”と言われ、”あ、やってみよう。”と決めたのでした。
 この会社の面接の前日に、(余談ですが、)シェアメートの一人シボンヌに面接のロールプレイをしてもらったのでした。彼女は現在サイキアトリスト(精神科医)として活躍しています。とにかく、ボキャブラリーが豊富で適切なアドバイスをしてくれました。あと、精神的にも励ましてもらいました。

 ムリンの学校を中途半端に終わらせる事になったので、早速相談したところ、週に二回夜に、私のシェアハウスに彼女が個人教授で来てくれる事になりました。結局、私がリムリックに引っ越すまでの間、ずっとムリンに英語を習っていました。何でも相談できる人なので、今思えば英語よりもおしゃべりの方が多かったような気がします。ケンブリッジ英検(CAE)は、入社後に受験し、合格しました。



 アイルランドでのOL生活。(1995年〜1997年)

 入社前に、会社指定のGP(General Practitioner、お医者さん)に行き、簡単な健康診断を済ませました。ちなみに、入社してからの定期的な健康診断は全くありませんでした。
 それと、M社で労働許可(Permit to employ an alien / Department of Enterprise and Employment)を取ってもらうのに写真を撮って提出しました。実際に労働許可が下りたのは、申請から3ヵ月後ぐらいになりました。初めて海外で働くので、気になって何度か担当の人に聞きましたが、申請書は提出してあるから、気長に待ってと言う返事でした。この労働許可の更新は1年に1回で、更新の度に写真とパスポートのコピーを提出すればいいだけでした。入社が決まってからの許可申請は全て雇い主の会社が行うので、私自身何も手をわずらう事はありませんでした。
 
 面接日から2週間後に正式に入社しました。所属した部はカスタマーサービスで、日本の顧客が担当だとばかり思っていたのが、結局イギリス、スコットランド、北欧、イタリア他の担当となり、日本の顧客はイギリスにある大手電機メーカーとフィンランドの大手電機メーカーの日本の下請け会社のみでした。
 最初のうちは、私の上司SL(女性)の下で彼女の指示を仰ぎながら、電話、メール、端末入力などを使って、M社の電気部品を売り上げ処理(輸出)をしました。この仕事は日本でしていた貿易事務と似た部分があったので、抵抗なく入っていけました。
 上司のSLはわたしが、(英語が出来ないわりに?とははっきり言いませんでしたが。)事務処理能力があるとよく褒めてくれましたが、入社して驚いたのは、もし日本の普通のOLだったら、こんなこと10分でできるのに1時間以上かけても事務処理がみんな上手くできないと言うものでした。日本と比べて、スタッフを大目にはもちろんとらないので、みんなキリキリになって仕事量をこなして行きます。隣の人が例え困っていても、助け合うような雰囲気はなく、ひたすら膨大な量の仕事を片付けるのにみんな必死でした。もしミスをしたら直接自分に責任を問われました。アイルランドの会社でOLとして働いたのはこのM社だけなのですが、他の会社でも少なからず似たような雰囲気を感じたことは何度かありました。
 
 入社して仕事がなれてしばらくたつと、エンジニア部、購買部、製造部から、たまに機械マニュアルの翻訳の仕事、電話での通訳、ビデオ会議の通訳等、カスタマーサービスとは離れた仕事を頼まれました。これは、私の直の上司は何も言わなかったのですが、その上の上司が納得が行かなかったらしく、エンジニアの部長と揉めたり、翻訳の仕事は家に持ち帰ってするように、と言われ始め、私の本職は何?と疑問に持つようになったのです。
最初のうちは、会社の便利屋さんで私も納得はしていました。M社にいる唯一の東洋人(日本人)で、時間が許す限り、お手伝いしましょうみたいな態度でいました。たとえば、仕入先がコテコテの古くからねじを作って何百年と言った感じの日本の会社だと、Faxでやりとりしても内容が不明瞭で日本人がいるから、電話かけてもらおうっと購買から頼まれ、早めに出社して日本に電話したり、エンジニアが図面に描いてある説明がわからないから、と言って電話でやり取りしたり、仕入先の日本の会社が私がM社にいるとわかると、直接電話がかかってきて、購買の担当の人は怒りっぽい人のようですねぇ、何とか取り持っていただけませんか?などなど。
 
 自分の本業の事務の仕事も、結局は、日本でやってきた仕事と似ていて、他に私が今この国で出来る仕事といったら?...他の会社に転職しても、おそらく同じような事が起こるだろうし、これから先、どんな仕事が一番私にむいているのかな?...と考えるようになりました。ドンドンやムリンからの助言で”そんなに悩むのだったら、いっそのこと自分で日本の会社とアイルランドの会社をサポートするような仕事を始めてみれば?”と助言もありました。それに、ほぼ同時期にドンドンと婚約し、結婚の日取りを決めていたので、こちらでは非常に珍しい寿退職を決断しました。

 M社にいた2年半はもちろんわたしのアイルランドでの仕事生活にはなくてはならない経験だったと思います。英語も学校に行っていくより数倍身についたと思います。いい人々にもたくさん出会いました。



 アイルランドでフリーランスで働く。(1997年〜2004)

 退職して結婚してからしばらくは、ドンドンの実家の事情があり、次なる仕事とはすぐにいきませんでした。
 一段落してから、まず始めたのは、日本のある翻訳学校の通信教育に申し込み、毎月添削してもらいました。翻訳と言っても私の選んだのは産業翻訳でした。予想していたより点数がよかったので、私自身は意外でした。この時、使ったテキストや学校の先生が書いた著書は今でもたまに読み返すことがあります。
 
 結婚してから、リムリックの警察署(Garda Office)内にあるAlien Office(エイリアン・オフィス、外国人はエイリアンなのです!)に自由業として仕事するのにビジネスの許可をもらうにはどうしたらいいのか?を相談しに行きました。今は定年退職して他の人に代わっていますが、当時のオフィサーだったMNさんから、”Department of Justice, Equality and Law reform”に手紙を出せば、手続きの仕方を教えてくれますよ、と知らせてくれました。
 早速、言われたとおり手紙を書いてしばらくすると、担当の人から返事が来ました。手紙の内容は、日本からの警察証明書の提出、会社の名前、自分の夫の出生証明書のコピーが申請に際し、必要ですとのことでした。
 この中で、警察証明書をとるのが大使館を通して、出生証明書をとってから書類を作成して、Gardaに行って指紋押捺をして証明書を作ってもらい、また、大使館に申請書を提出といった具合に手間がかかりました。このビジネスパーミッションが正式におりて、5年間のビジネスビザをもらいました。
 
 自力で仕事をもらうことは無理だと思ったので、ダブリンにある翻訳(通訳派遣もしている)の会社、翻訳会社、ロンドンにある翻訳の会社のトライアル試験を受けて、登録しました。登録したからと言って、すぐに仕事が来るわけではありませんでした。 結局、最初の年は、ダブリンの翻訳会社からA4サイズの翻訳が数回ありました。全て継続の仕事ではなく単発の仕事でした。

 翌年の10月にコナンを出産したのですが、妊婦になってから、いきなり通訳の依頼が舞い込みました。しかも、依頼してきた会社は通訳としては登録しておらず、正式に面接をしていないのに、”電話で話す限り、大丈夫だから、わたしが太鼓判押すから。”とその会社の社長に言われ(こういうパターンが多いですよね。)、初仕事はリムリックにある会社でした。その会社は製造業で機械が日本からということで、日本のエンジニアが通訳が必要だと言う事でした。
 立て続けに、コーク、ダブリン、またリムリックと仕事が入り、遠出の時は泊りがけとなり、突発の依頼、しかも泊りがけ、しかも妊婦と言う事が重なり、またこれも、”子供が生まれた後の仕事の仕方”を考えるきっかけとなりました。
 
 コナンが誕生してから、しばらく仕事が出来ないと通訳の派遣会社に連絡して、数ヶ月たってから、ドンドンの同僚の奥さんが日本語のできる人を探しているということで、何をするのかはっきりわからないまま面接に行きました。
 同僚の奥さん(当時)MCさんはV社で品質管理の課長をしていて、ある会社に自社のビデオに日本語の吹き替えをしてもらったので、そのチェックをして欲しいということでした。その仕事が終わってから、数日後に、日本人向けに行うプレゼンテーションの資料の翻訳、機械にまつわる用語集の翻訳の仕事を立て続けにもらいました。更に、他の校正の仕事を長期的にやってもらいたいと言う事で、日本のV社の人にも会いました。この仕事は、内職と呼んで今でも続けている仕事です。
 V社とはこのMCさんが私にコンタクトしてからのつきあいで、色々な人に私の名前が広がり、現在は通訳(ただ単にお手伝いのお節介オバサン?)として契約の仕事を頂いています。
 他、V社と平行して、知り合いの紹介で翻訳の仕事を3社、そして以前お世話になったM社から単発でもらっています。

 現在は、ズボラな私も2児の母となり、正社員で勤めるよりも、V社で契約で勤めたり、単発の仕事をちょこちょこもらいながら仕事した方が、今の自分の生活に合っているのだと思います。
 最初から、こういった形で仕事しよう!と意気込んだ訳ではないのですが、流れに流されるままこういう形になりました。義理の母を始め、わたしの身内は、本当にラッキーと口々に言います。本当にその通りだと思います。

 

アイルランドで日本語教師になる -セカンダリー・スクールで日本語を教える- (2004年4月〜)


 就職の経緯をバババっと私なりに書いたのが2003年1月のこと。あれから2年が経ち、V社との長期契約の仕事(通訳のおばさん)は、一段落しました。幸いなことに、短期の契約は引き続き何回かもらえていますし、V社のほかの部署からの技術翻訳などは定期的に依頼があります。他には、リムリックにあるTa社からも仕事をいただいています。

 そして、今までの仕事とと平行して、2004年4月からリムリックを中心にセカンダリースクール(日本で言うとちょうど高校生にあたる年齢の生徒が対象です。)で日本語を教える仕事を始めました。日本語教師の仕事です。
 以前から興味があったものの、仕事をもらえるまで至らなかったり、ちょうどオファーをいただいた時には他の仕事を始めていたりで、なかなか縁がありませんでした。約9年前にエニスに住んでいた頃、日本語&文化紹介クラスというのを夜間のカルチャースクール(Adult education, vocational school)で担当したことがあり、その時、本当に楽しく授業(と言っていいのかはわかりませんが)をさせてもらいました。あの時点で、シャノンでOLを始めなければ、おそらく日本語教育や文化紹介の仕事に目が向いていたかと思います。まぁ、人生というのは流されるがままに(特に私の場合)なのだと思います。今になって縁があったわけです。
 
 これまた、幸いなことにUL(University of Limerick)の日本語科の先生をしているBさんが知り合いだったのと、お隣のカウンティークレアで、すでに日本語の先生をしていたMさんが友達だったので、最初のうちはかなり助けてもらいながら授業をしていました。今でも試行錯誤は続いています。
 今まで私のしてきた仕事とは全く質も分野も違います。とにかく、奥が深い!そして、おもしろいです。また、二年後これを更新した時に全然違う事をしているかもしれませんが、今は楽しく仕事しています。(もちろん、学校によってはイヤーな授業になる事もあります。)
 自分がいかに日本語を知らないで話しているかに気付いたり、子供達やドンドンの話し方をフッと分析している自分がいたりして、日本語に対しての意識がこの一年、ずいぶん変わったと思います。まだまだ、勉強しなければならないことだらけですが、頑張って行きたいです。

 
 

アイルランドで仕事する。<就職先を見つける>

更新するまでお待ちください。